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[フェス] 欧州を巡回している日本のアニメ展

September 12th, 2011 Published in 世界のフェスティバル

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世界中で新しい文化のフェスティバルが生まれ成長しています。「世界のフェス・ディレクター」では、そんなフェスティバルで活躍するディレクターに注目 し、ご自身の活動やフェスティバルの意義、今年のテーマなどを語っていただきます。今回も前回に続きステファン・リーケルス氏に「Proto Anime Cut – 日本のアニメーションにおける空間とビジョン」展についてお話をうかがいました。メディアアートを中心にキュレーションしている彼が、なぜ日本の商業アニメを題材とした展覧会に取り組んだのかがわかります。

日本のアニメを題材にした「Proto Anime Cut」展について

photo by Aki Suzuki

《アキラ》(1988)と《攻殻機動隊》(1995)が成功を収めて以来、日本のアニメは世界のポップカルチャーの中で重要な位置を占めています。僕がキュレーションを手がけた展覧会「Proto Anime Cut」は、SFアニメ全盛の1990年代を飾る最も重要な作品群の美術背景やコンセプトシートを含むドローイングに焦点をあてた展覧会です。

庵野秀明、樋上晴彦、森本晃司、小倉宏昌、押井守、渡部高志たちはみな、ありうべき世界観とそのリアリスティックな構造に関わりながら、未来の都市や景観を描くSFの一形態としてリアル系への興味を共有しています。これらの作家たちは主要な映画において様々なかたちで共に製作し、今日私たちがアニメの典型だと思っているスタイルに決定的な影響を与えてきました。

また、この展覧会で取り上げた作家は、アニメがまだ手描きで製作されていた時代の絶頂期の世代に属しています。もちろん今日では彼らもあらゆる製作プロセスでデジタル技術を使用していますが、今なお彼らの最も重要な作画道具にはレイアウトテーブル、紙、鉛筆、ペンが含まれています。

庵野秀明《ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序》の原画や抜粋映像の展示の他、背景などのイメージソースとなった庵野氏自身が撮影した写真(画面左)が展示されている。photo by Aki Suzuki

アニメの製作はコンセプト作成者、ナレーター、原画作者、アニメーターなどがそれぞれの段階で関わる協同作業によって成立しています。彼らはたいてい厳密に組込まれた工業化されたシステムの中で作業します。そこでの最終制作物は、技術的なスキルや完成度よりも重要なのです。本展覧会の試みは、映画としての作品や主人公を異なる視点から眺めることです。中でも、完成された映画の情景に落とし込まれる前のドローングに興味があります。というのも、スクリーン上の描画にあまりはっきりとは現れない個々の作家の独創性や手技を目にすることができるからです。

原画、絵コンテ、美術背景などは製作プロセスの一部として創作され、固定された最終的な位置づけというよりも、製作段階にある未完の状態の中で提示されます。今回のカタログに掲載され、展示されているどの作品も(森本晃司の数点をのぞいて)こうしたタイプの製作物で、実際それらのほとんどがこれまで公開・展示されたことがないものばかりです。

本展覧会は、こうした製作物が作品として公開された最初の展覧会です。映画と視覚芸術とポップカルチャーの境界線上で実践されるような、ある種の個人的で非常にインスピレーションを与えてくれる芸術的創造への証言となっています。

森本晃司《EXTRA》(1996年)のカット45の全キーフレーム。主人公の姿は、頭髪、顔、首の3つのレイヤーに分かれている。それぞれのドローイングには複数回使用されるものも多く、絵コンテの時系列情報も反映されている。photo by Aki Suzuki

ドイツとスペインを巡回展示

「Proto Anime Cut 」展は2dk(東京)の協力を得てLes Jardins des Pilotes(ベルリン)が企画したプロジェクトです。キュレーションはステファン・リーケルスとデヴィッド・デヒーリ。Obra Social Caja Madrid (Spain)による共同プロデュースです。本展は2012年にバルセロナとマドリッドにも巡回します。

  • ベルリン、Kunstlerhaus Bethanien (2011年1月21日~3月6日)
  • ドルトムント、HMKV(Dortmunder U内) (2011年7月9日~10月9日)
  • バルセロナ、Espai Cultural Caja Madrid (2012年2月8日~4月8日)
  • マドリッド、La Casa Encendida (2012年7月5日~9月16日)

なぜ日本のアニメーションの展覧会をキュレーションしたのか

2007年5月に、デヴィッドと初めて東京で日本の魅力的なアニメーション文化について議論を交わしました。それから数ヶ月間行なったリサーチが、この展覧会で展示されている作品選定の基礎になりました。CG-ARTS協会にもリサーチを協力していただきました。

アニメは日本で非常に力強い文化的影響力がありますし、着実に海外の視聴者も増え続けています。映画、音楽、ファッションはアニメのフィギュアや物語を継続的に参照しています。この数十年でアニメはポップカルチャーの広範なトレンドをつくりだし、伝え、まとめあげるための確かなメディアになりました。アニメの世界は実に多様な広がりをもつテーマや専門性、フェティシズムの対象などをカバーしています。

この展覧会では、アニメにおける都市のイメージと、こうしたイメージの様々な変形をトピックに取り上げています。このトピックは、西洋の鑑賞者にとっても非常に興味深いものです。というのも、東京のイメージは1980年代、90年代には長らく「未来都市」のイメージを与えていたからです。《アキラ》や《攻殻機動隊》のようなアニメーションは、こうした東京の情景を世界に広げるために重要な存在でした。僕はそこで、これらのイメージがいかに創られたのかについて興味を持つようになったのです。

この展覧会の一番の見どころは、多くの人が見知っているアニメーション作品の原画を見れることです。こうした経験は作品に対して全く新しい理解を与えてくれますし、マスメディアコミュニケーションのイメージがどのように創造されるのかを理解するのに役立ちます。今回の展示は、美しいドローイングや絵画から始まります。これは多くの人々にとって驚くべきことだと思います。

キュレーターとしての苦労と喜び

森本晃司氏と小倉宏昌氏はベルリンでのオープニングに参加してくれました。彼らは壁に掛けられている自分たちのドローイングや絵を最初に目にした時、大変驚いていました。小倉氏にとって、こうした形での展示は初めてのことでした。小倉氏は、「こうした展示は作品に対して別の理解を与えてくれます。それは僕にとっても同じです。」と語っていました。彼は、なぜ僕たちがとても長い間彼の作品を追いかけて(展示許可を求めて)いたかをようやく理解してくれました。彼は自分の描いた作品が他の人々にとって、完成された映画を「見なくても」、美しいものであることを理解しました。彼の作品は最初、アニメーションカメラのために創作されました。しかし実際にそれら自体も非常に美しいものです。アーティスト自身にとっても価値のあるものだと感じてもらえて幸せでしたし、とても素晴らしい瞬間でした。こうした瞬間は、どのキュレーターにとっても至福の瞬間だと思います。

ほとんどの場合、アニメ制作にたずさわる作家達はプロダクションで雇用されて働いており、あらゆる権利を雇用主に譲渡しています。もし誰かがドローイングを所有していれば、それを展示・出版する許可を得るためにとても長く煩雑なプロセスを経なければいけません。一方、プロダクションにおいては、作品の制作プロセスで描かれるこれらの素材的な制作物は価値あるものとみなされません。あくまでも最終成果物としての完成されたアニメーション映画のみが重要とされます。このような素材がどうなるのかについては明らかにされないことが多いですし、ほとんどの場合、製作が終了すると処分されてしまいます。アニメーション製作で発生した中間生成物は、熱心なファン向けの特別なショップで販売されることもありますが、たいていの場合はセル画です。セル画は製作プロセスの最終段階に含まれ、一般的には作家によって描かれたものではありません。

ヨーロッパでの来場者の反応

オープニングの様子 photo by Aki Suzuki

現時点ではこの展覧会はドイツ国内(ベルリン、ドルトムント)でしか開催されていませんので、国ごとの比較はできませんが、来場者はたいてい長時間(最低1~2時間)展覧会を見て行きます。彼らにとっても発見すべきものが多く、決して飽きさせることはないようです。来てご覧になれば、常に新しい発見があるでしょう。というのも、今回展示している原画や絵コンテ、背景画などはこれまでヨーロッパにおいて一度も展示されたことがないからです。

この展覧会をぜひ日本で開催したいと思っています。この展覧会を訪れた多くの日本人の友人から同じ質問をされましたし開催についてはとても興味がありますが、これまでのところ現実的なオファーはまだありません。

photo by Aki Suzuki

キュレーターやディレクターとして大事にしていること

僕の仕事では、アーティストの作品に最も力点をおいています。キュレーターとして基本的に3つの側面<アーティスト/展示施設/観衆>を扱います。アーティストの成果を正しく評価し認識することが、仕事をする上でのモチベーションなのです。どうすればもっともふさわしい方法で作品を提示することができ、作品に大きな興味を持っている人々が楽しめるのだろうか。これが基本となる問いかけです。

この問いかけに対して、作品のジャンルというものは大して問題ではありません。どの作品も、ある明確な意図やメッセージや情熱によって創作されています。僕は、まずはじめにその作品を理解したいと思い、そして次にそれを鑑賞者に伝えたいと思うのです。そして僕が一番大切にしているのは、アーティストの作品に対する敬意です。

展覧会やフェスティバルは社会的なイベントです。来場者のうちの数人でも、個人的なレベルで心や感情が揺り動かされたのであれば、そのイベントは成功したと言えるでしょう。それが全体として社会を豊かにする一部になるのだと思います。

メディアアートと取り巻く状況の変化について

メディアアートは、メディアテクノロジーの使用を通じて、徐々に明確な定義がなされなくなって来ています。これは過去の歴史をかえりみてもよくあることです。メディアアートは、アーティストの作品をどのように見るか、という一つのパースペクティブになって来ていると思います。メディアアートは、それを見て認識するためのメディアへの意識を求めるものです。この意識化は今日ではより広く行われています。こうした観点から、メディアアートは10年前、20年前よりもずっと広く一般に知られうるものとなったと言えるでしょう。

ほとんどのアーティストがグローバルな市場やスタイルのコンテクストにおいて活動しており、同じようなソースにアクセスしなければならない状況にあります。しかし、その作品は、地域的な現代性や歴史的な文化と交差しています。ですから、一方では観衆とアーティストは似たような言語を使用することにより、世界中で互いに理解し合います。その一方でアーティストと観衆はまた文化的差異も理解するのです。

ジャンルの変化や領域のあいまいさと対峙して

アートのジャンルを定義することは、常に一過性が伴います。時代によって定義も変化することが必要です。あるジャンルは消え、新しいジャンルが出現する。どの作品がどのジャンルに属するのかということは大した問題ではありません。大切なのはジャンルというものの有用性です。作品がこのジャンル、あるいはあのジャンルに属していると言えたとして、作品を経験することや理解することのために、何を得ることができるのでしょうか。あまり得られるものはないと思います。僕にとってもっとも興味深い作品は、常に複数ジャンルの境界線上にあり、簡単には定義できないものです。僕は決められた箱の外側で考えることができるアーティストを高く評価します。

しかし、この才能は新しいテクノロジーから得られるものではありません。テクノロジーが境界線を曖昧にする訳ではないのです。才能を有するスマートな人がテクノロジーを使ってこそ、そのテクノロジーの効果を他の創造領域に広げることが可能なのだと思っています。

僕はこれからもアートとポップカルチャーの境界線上で展覧会やプロジェクトを作り続けて行こうと思っています。今年は「Proto Anime Cut」展のほかに文化庁メディア芸術祭ドルトムント展2011でもキュレーションを手がけましたが、今後もより一層、日本のアート、メディア、ポップカルチャーへのリサーチを行なうと同時に、深めていきたいと思っています。
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「世界のフェス・ディレクター」では、ひきつづき様々なジャンルのフェスティバルとそのディレクターに焦点をあてて、ディレクターご自身の活動やフェスティバルの全体像を紹介するとともに、フェスティバルの意義やテーマ、人生観や想いをお聞きして、色々な角度からそれぞれの魅力をお伝えしたいと思います。

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