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[インタビュー] 増田春雄

July 29th, 2011 Published in インタビュー

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日本のアート、ゲーム、アニメーション、マンガなど、新しいメディアと向き合いながら、新しい文化を切り開いてきた人達を紹介する「インタビュー」。ジャンルや職種にとらわれず、さまざまな人々の魅力に迫ります。記念すべき第1回は、現在、東京都現代美術館で開催中の、アニメーション界の至宝、フレデリック・バックの作品と人間の魅力に迫る「フレデリック・バック展」で展示企画・デザインを担当された増田春雄さんへのインタビューです。

 増田春雄さんは株式会社オリエンタルランドに入社されて、東京ディズニーランドのプロジェクトに参加し、立ち上げからパークを支えてきたお一人です。近年は「ディズニー・アート展」(06年)、「ジブリの絵職人 男鹿和雄展」(07年)、「メアリー・ブレア展」(09年)など、数々の展覧会の展示企画にも携わり、多くの人に、心動かす世界、ストーリーを届けてきました。魅力溢れる空間を影で支えてきた増田さんは、いったいどのような方なのでしょうか。その答えの糸口を探して、若いころに遡ってお話をお伺いしました。

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学生の頃はどんなことを学び、何に興味を持っていたのですか?

高校時代は油絵を描いていました。大学に進むにあたり、空間の中でものを作ることが、いろいろな可能性と結びついて面白いと感じ、彫刻科に入りました。ちょうど1970年に入る頃で、社会全体が動的に動いていた時、自分たちで動けば何かできるのではないかという、いろいろな可能性を秘めているような時代だったと思います。その中で、芸大ではアカデミックな方法で授業が行われていたのですが、そのような状況に疑問を持ち、どちらかというと真面目に授業を受けていませんでした。

学園祭などでは、油絵とか、工芸の少しつっぱっている友人とともに、光と影をテーマにした展示などもしました。蓄光塗料と、秋葉原で部品を買って作ったセンサーを使って、人が前を通るとストロボが炊かれて塗料の上にその人の影を定着し、暫くするとその影が消えていくといったものや、今みたいなテクノロジーがないので、バイメタルという工事現場で点滅している電球を使って、スイッチを入れるとある形がランダムに点灯して変化していくものなど、コンセプチュアルで、行為的な創作活動をしていました。

大学を卒業してすぐに就職されたのですか?

(笑いながら)いいえ就職はしませんでした。生き方や価値観、社会・政治の在り方などに疑問を持っていました。創作活動に関して、作品を制作するのはいいのですが、なぜ人に観せるのか疑問を持っていました。美術のグループや協会に属して作品を発表するという行為そのものも、素直には受け入れられませんでした。職にも就かずにぶらぶらしながら、鍛造(鉄をたたいて照明器具や門扉、シャンデリアなどをつくる)をしたり、雑誌の挿絵を描いたり、絵の模写をしたり、オペラの小道具や特殊な造形物を作ったりと、友人に誘われるがまま、深く考えずにやっていました。新しい素材を使っていろいろと試してみることは面白かったですね。劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」で砂漠のシーンを創る方法を検討したり、博物館では噴火している火山のジオラマなども作りました。ジオラマを作る過程で、専門の学者に意見を聞く機会がありました。その際に、ものを作る時には、単に感覚的に形を作るのではなく、学術的な裏付けにも気を配る必要があることに、初めて気が付きました。それは、東京ディズニーランドの仕事をするときにも役に立ちました。

東京ディズニーランドの仕事に就かれたきっかけを教えてください。

ある日、大規模な建築現場で遺跡が出土してしまって、工事の中断も移築も出来ない中、友人と二人で、そのレプリカを作る仕事をしました。その設計事務所の方が、後にオリエンタルランドに出向して、東京ディズニーランド建設関係の部長をしていたのです。計画を進めていく過程で、何度か「相談に乗ってほしい」ということで呼ばれ、そのうちに一緒に入ってやらないかということになりました。仕事の条件としては、まずアメリカのディズニーランドに行って、研修するという話がありました。これだけ大きいプロジェクトはなかなか関わる機会はないだろうし、子供の頃、日本テレビで「ディズニーランド」*の番組をずっと見ていたので、どうしてあんなものができたのか、その秘密が分かればいいなと思っていました。また、直接ディズニーに行って、見たり聞いたりできれば面白いだろうなと思って。でも、初めて人からディズニーランドを日本に作ると聞いたときは、当時、いくつかの遊園地のアトラクションのような造形物に関わったことで、日本の遊園地の実態を見ていたので、日本ではあり得ない話だと思っていました。

最初はウエスタンランドとアドベンチャーランドのアトラクションを作る責任者を担当しました。オープン後は、マスタープランに関わることになりました。パーク全体の品質管理ということで、アニメーション、ライティング、デザインなどを管理する部署を作って、日常的に発生する小さなことは内部で処理できるようにしました。運営の問題や、メンテナンスの問題も考えながら、尚かつ、面白くて、技術的には安定した状況でといった要求を充足させながらトータルにいろいろなことを進めていました。僕の役割は、アート的な観点で関わりながら進めていくことで、チームとして全体の仕事のクオリティーを上げていくということをしてきました。

展覧会の仕事をするときも同じで、全体とディテールを同時に見ながら、取り組んでいます。いろいろなことをやってきたので、あまり垣根を感じることなく、何をするにしても、アプローチは変わらないと思っています。

*「ディズニーランド」(テレビ番組)・・・米ABC局にて1954年に放送を開始。ウォルト・ディズニー自身が番組の進行役として登場し、「トゥモローランド」「ファンタジーランド」「アドベンチャーランド」「フロンティアランド」の4つの世界のうちの一つの国に関連した内容を各回ごとに様々なアイデアをともなった映像で紹介した。日本では1958年から1972年まで日本テレビ系列を中心に放送された。

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学生時代から東京ディズニーランドの時代まで、枠にとらわれない増田さんの生き方は豊かな経験と真摯な姿勢でさらに多くの出会いを生みました。人とのつながりがきっかけとなって関わることになった東京都現代美術館での展示の仕事。数々の企画をご担当されましたが、そのひとつひとつを振り返ってみたいと思います。

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芸術大学で学ばれた経験と、紆余曲折があって美術館での展示に関わられたわけですが、その時にご自身としては葛藤や違和感ははなったのでしょうか。

自分は、美術を一度否定してきたようなところがあります。美術そのものに対してのこだわりは若い頃のようにはありませんでしたので、抵抗は感じませんでした。個人で関わるとしたら、抵抗を感じていたかも知れません。それから、アートという概念をいわゆる純粋芸術としての旧来のカテゴリーとして捉えていませんでした。もっと開かれていて良いと思っています。特にディズニーのアーティストなどを見ると、美術学校を出て、素晴らしい絵を描いている人がアニメーターになっていたり、背景を描いていたり、活動にあまり境目がありません。表現に関して、ヒエラルキーをつくったり、カテゴライズすること自体にあまり意味がないんじゃないかなと思っていました。むしろ、アニメーションのドローイングのような、商業美術的な、美術という扱いをされていなかった、映画ができてしまえば捨てられてしまっていたようなものを、美術館に持ち込んで、それを違う角度で見た場合に、どのように見られるのだろうという逆の楽しみ、興味がありました。アートを純粋に考え過ぎている人たちの枠を違う角度から破るとか、そうした領域に商業アートが侵入していったらどうなるんだろうという興味がありましたね。

これまで手がけられた展示は美術館の建物の中とは思えないような空間になっていたと感じるのですが、どのような工夫をされているのですか?

特に東京ディズニーランドでやっていたことは意識せずに、どういう手法で見せればいいかを考えました。東京ディズニーランドの経験が役立ったといえば、トランジション(transition:経過部)という概念を使いました。例えばアドベンチャーランドとウエスタンランドの境では二つの異なるテーマが混ざってしまいます。それを緩和するために緩衝地点を設けます。それは異なるテーマのどちらの世界にも入っていけるような空間です。

「ディズニー・アート展」では、美術館の空間が大きくて、そこに小さなアニメーションの原画を置くと全然バランスが合わない。また、現代美術作品は大きなものが多いから、ライティングを全体的に当てるような考慮がされており、木の床への反射が気になって、肝心の絵の高さくらいのところで明るく感じないのです。環境的にはもっと原画に集中させたいけれどなかなかできない。ただ原画を並べても、空間が大きく散漫な感じになってしまう。そこで空間を感じさせないようにしてしまえば良いのではと庇を付けました。それが一つの工夫ですね。

原画を複写して壁に大きく掲出したほうが良いといった意見もありましたが、そうではないと思いました。大きいものにサイズで対抗しようとすると、結局、物理的な対比になってしまう。本当に大きいものを作っても、意識の中で大きく感じることができないことが多いので、物理的に大きく掲出せずに、むしろ空間が大き過ぎると感じてしまう要素を消してしまえば、作品にもっとゲストの意識が集中することができるのではないかと思いました。作品の中身に入ってもらえる環境を作りたかったのです。

「ジブリの絵職人 男鹿和雄展」では、制作過程はほぼ同じですが、一人の背景画家の作品なので、「ディズニー・アート展」と違う構成を考えるのが楽しかったですね。男鹿さんに関してはジブリ美術館を訪ねたときに購入した本を通して知っていましたが、詳しくはなかったので、勉強しました。男鹿さんの場合は背景画家としての生活を通して、作品のカテゴライズを考えました。

メアリー・ブレアさんのことは、ディズニーランドの関係で一緒に仕事をした周りの人から素晴らしい人だと聞いていました。個人的には興味を持っていたのですが、初めてディズニーランドを訪ねた時は、すでに亡くなって2年がたっていて、一度もお目にかかる機会はありませんでした。東京ディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」の壁画を追加する時に、彼女の表現のスタイルを勉強したりしていましたが、展覧会のために、改めて勉強しました。ジョン・ケインメーカーの「The Art and Flair of  Mary Blair」、「BEFORE THE ANIMATION BEGINS」という英語の本を、辞書を引きながら読んだり、ディズニーの方にインタビューをしたりしました。調べては枝葉が伸びて、またその先を調べるという作業でした。「メアリー・ブレア展」では、彼女の内面にも深く入っていければ良いなと思って構成しました。

「フレデリック・バック展」ではご本人にお会いしましたか?

時間が限られていたので、直接聞けた話はそんなにたくさんではありませんでしたが、貴重な体験談を伺いながら、素晴らしいお人柄に触れることができました。今回恵まれていたのは、バックさんは自伝を書かれていて、当時のアルザスの状況や時代背景など詳しい情報もそこに書かれていたので、作品の理解に大変役に立ちました。

6,000点から展示作品を選ぶ作業は大変だったと思いますが?

作品の選定より、どのように展覧会を構成するかというフレームワークを固めないといけないと思いました。好みや感覚で選んでは収拾がつかない点数で、丁度昨年の夏頃、約2か月かけて選びましたが、絞っても1,500点ぐらいありました。さらに絞るために、大体の会場レイアウトを考えて、展示壁面の長さから、展示数を割り出して、点数を絞り込んで行きました。最終決定の際には、現地で実物を見て決めましたが、実物を見ると、PC上では良かったものが、保存上の問題を抱えていたり、その逆もあったりして変更することがありました。そして、バックさんの意見を取り入れて、決定しました。

バックさんの描かれた膨大なスケッチの量には驚きました。小さい頃から才能を発揮していますよね。

お母さんの存在が大きいですよね。絵が好きだったバックさんを見ながら、製本、版画を教えている学校や美術学校に誘導して行ったと思うのですけれども。お母さんの影響が、音楽で言えば通奏低音的な、表面には聞こえにくいけれど、その根底にあるように思います。

バックさんは動物が大変好きですが、これも動物好きのお母さんの影響ではないでしょうか。叔母さんの農家で飼っている家畜の世話を彼はしているし、馬が大好きなのは絵を見ればすぐ分かりますよね。動物に対する彼の目線というのが後の、アクティヴィストの活動にも繋がっていると思います。

展示セクションの「ブルターニュ」ではあえて、彼のひざの間に座っているパッツィと言うビーグル犬を上から描いた絵から始めて、「アクティヴィスト」のところでまたそのパッツィが産んだ仔犬を描いた3枚を見せているのですが、それは一つの伏線になっています。彼の自然や環境、動物に対する愛情、彼の活動の根底には母親の愛に育まれてきたということがあるのだろうなと。それを展示ではあまり説明していませんが・・・。

「フードロワイヤン号」 1948年 © Atelier Frédéric Back Inc.

バックさんの生き方はまるでフィクションのようですよね。

そうですね。いろいろな国の血を引いている人たちの末裔で、しかもドイツとフランスの権力闘争の中、その中間地点にあるアルザスという複雑な歴史的背景を持った地域で生まれ育った人ですからね。ぼくはあえてフランスに「祖国」をつけてみたのです。民族主義とか原理主義的なことが進んでいくと、フランスを否定して、アルザス人としてのアイデンティティを強く打ち出したくなってもおかしくはないじゃないですか。ところが、彼は全然そうしたところがありません。フランスのブルターニュでの生活のこととか、そこで交流した代母という人の存在とか、自分を戦争に行かせずにかくまってくれた神父さんとか、先生とかそういう人たちとの交流をすごく大事にしている。ぼくは、バックさんの中ではフランスを「祖国」という強い意識を持って位置付けてみてもおかしくないんじゃないかなと思い、恐る恐る本人に「祖国」と付けても良いですかと聞いてみたんです。そうしたら、いいですよと言ってくれました。最初はそこまで考えてなかったんですけど、あえて「祖国」と入れることで、カナダに移住したことや、アルザスという彼の見えない部分というかその土地の出身だということも含めて、フランスにおける体験がクローズアップされるのではないかなと思いました。

「クラック!」原画 1981 年 © Société Radio-Canada In partnership with the Atelier Frédéric Back, Montréal.

「フレデリック・バック展」の展示の見どころは?

バックさん自身のことをもっと詳しく知ってもらえればいいなと思います。彼が生きてきた有様というか、生き方、思想、そういったものから、僕らが学べることはたくさんあると思います。特に今年は震災があったので、いろいろな人が、当たり前にあるようなものが当たり前じゃないんだということを考える機会も多いと思いますが、バックさんの訴えてきたことはまさにそういうことだと思います。自分たちがいかに生きていくべきかということを、常に彼はメッセージとして発してきたと思うので、絵を見て、アニメーションを見てそのメッセージを改めて考えてみてください。そうしたことが、バックさんのずっと訴えてきたことに気付くきっかけになってもらえればいいかなと、それが一番ですね。

あとは作品のボリュームも多いので、観る方も少し体力、気力が必要ですけど、バックさん独特のアニメーション・スタイルの秘密に迫るには、それに到るプロセスを提示する必要がありました。バックさんは87年かけて生きてきたわけですから、それを簡単に見て終わるというわけにはいかないので、観る方もそれなりの覚悟がないと観られない内容だと思います。

ポートレート 2010 年 © Atelier Frédéric Back Inc.

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増田さんは自転車旅行、無職で結婚、多様な仕事経験、環境への関心など、フレデリック・バックさんと同じような体験をしてきて、バックさんに心から共感しながら仕事ができたそうです。二人のもう一つの共通点、それは“知恵と工夫の人”ということ。そんな魅力溢れる人々の手で開催された「フレデリック・バック展」。この夏、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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最後に増田さんからご自身について、印象的なことをお伺いしました。

「お仕事は何をされているんですか」と聞かれたら、何と答えているのですか?

答えようがないんです。名刺には何の肩書も書いてないですよね。ぼくは属性というのは一番嫌うんです。名刺というものはオリエンタルランドに入るまで作ったことがないし、名刺がなくて仕事の紹介が成り立たないんだったら、その仕事をやらないと、若い頃は生意気なことを言っていました。(笑いながら)いい加減に生きてきたから分からないです。

ぼくは一人でやってきたから、職種などあまり分けて考えません。大きい仕事だと専門分野の人の力を借りないとなかなかできないし、そういう中で分化していって、それぞれの専門性というところでお互いやっていかなくてはいけないのだと思うけれど。自分は常に全体に関わりたい、全体とディテールの両方にこだわりたいなと思っています。

属性をつけてしまうと安心できる側面があるかもしれないけれど、逆にそれに既定されてしまうという感じもします。学生時代のインド旅行のこともひとつの参考になるかもしれないのだけれど、当時、壁を乗り越えようとする意識が自分の中にありました。でもインドの現実を見たとき、そういう発想すらおかしいのではないかと思いました。自分は壁を乗り越えよう乗り越えようとしているけど、横を歩いていけば越えられるんじゃないかと。インドで、日本の感覚ではない生き方を見ていると、自分の社会の既定の中でしか考えていないということはすごくちっぽけなことで、自分もそんなところでずいぶん悩んでいたんじゃないかと思えてきて、すると、すごく気が楽になって、それから力が抜けたというか気楽にやれるようになりました。

これまで、いろいろな試みに興味を持ってやっていたのだけれど、それが成功したかどうかは別として、お互いにカテゴリーの境界意識をもたなきゃいいと感じていました。ただ、それぞれを大事にするというのは絶対必要だし、深化させるには、広げればいいわけではなくて、どんどん特化してやらなければいけないでしょう。ものを深化させなくては意味がありません。地図と一緒で国境線はあるけれど、実際、陸地には線はありません。それを引くのは人間だし、そこからいろいろな問題も生じるわけです。そういったものを全てとっぱらったときにどうなんだと考えた方がよっぽど、面白いし、楽しいし、可能性もある。

これから特にいろいろなメディアを考える上で、むしろそういう思考性を常に念頭に置くことが大事ではないかと思うんです。学生のうちにやってきたことはアナログ的なことが多かったけれども、ぼくはそのアナログ的な作業や取り組みの中に、自由さとか可能性、表現や意思の発動の仕方を見出してきたと思います。そういうものをこれからも若い人たちが大事にしていってもらえればいいのではないかと思うんですよね。

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増田春雄 (ますだ はるお)
1948年生まれ。東京芸術大学美術学部卒。80年、東京ディズニーランドのプロジェクトに参加するため、株式会社オリエンタルランドに入社。80~81年に掛けて、アメリカのWEDエンタープライズ社(現ウォルト・ディズニー・イマジニアリング)及びディズニーランド、マジックキングダムで16ヶ月間の研修を受ける。東京ディズニーランド開園後は、パークの品質管理、デザイン、マスタープランなどに携わる。2001年、東京ディズニーシー開園を機にオリエンタルランド社を退社。フリーとなりプランニング及びデザインコンサルタントとして現在も活動中。「ディズニー・アート展」(06年)、「ジブリの絵職人 男鹿和雄展」(07年)、「メアリー・ブレア展」(09年)、「フレデリック・バック展」(11年)の展示企画構成を担当。

1987年 © Société Radio-Canada In partnership with the Atelier Frédéric Back, Montréal.

フレデリック・バック展

開催期間: 2011年7月2日(土)~2011年10月2日(日)
月曜日休館(ただし8月15日、22日、29日、9月19日、26日は開館。)
開館時間: 10:00~18:00(入場は閉館の30分前まで)
8月・9月の土曜日は20:00まで開館
開催場所: 東京都現代美術館 企画展示室1F・3F
お問合せ: 03-5777-8600(ハローダイヤル)
公式HP: http://www.ntv.co.jp/fredericback/