[インタビュー]大垣美穂子
August 30th, 2012 Published in インタビュー
1996年からドイツ・デュッセルドルフクンストアカデミーに留学、卒業後はアーティストとして暮らし、2010年にその拠点を日本に移した大垣美穂子さん。今年は東京と大阪で、さらには海外でも展覧会を開催している。すでにドイツでは、自身の作品を愛するコレクターを持ち、安定した活動をしている彼女が日本に帰ってきた。拠点は作品に影響するのか。
東京で開催されていた展覧会(MORI YU GALLERY Milky Way-drawings 2012年6月2日-21日)で制作や作品に纏わる話を聞いた。[撮影・写真提供:幕内政治 http://ex-chamber.seesaa.net/]
東京、大阪と展示が続きますが、これまでドイツで発表されていた作品とは異なるのでしょうか?
日本とドイツで発表する作品はシリーズで分ける予定です。日本で発表していくのは2008年から続けている《Milky Way》シリーズ、ドイツでは、本帰国した2010年から着手している《Star Tales》というシリーズを発表していく予定です。《Milky Way》シリーズでは、人をモチーフとして扱い、老いに対する畏怖と崇敬をテーマにしています。人間を形成するのは、肉や骨といった物質的なものだけでなく、天文的な数ある感情であり、人間を語る事は宇宙を語る事と同義であるというコンセプトのもとにこのシリーズは展開してゆきます。
《Star Tales》シリーズは、ギリシャ神話がモチーフとなっている星座のように、現代の人間社会や日常の事象をそれぞれ星座に組成していく作品です。現実に生きる人間像は神話の中の人物と遜色違わぬ程魅力的で、人間の引き起こす事象、造り出す物、記憶させる概念全てが、雑然として劇的、パワフルで矛盾に満ちていると考えています。
私は、制作拠点が影響して作品が変わっていくタイプではなく、二十代の自分、三十代の自分という感じで、自分の歳月時間が作品に影響していくタイプだと思います。ドイツでも日本でもスタジオに籠りっぱなしで、世界がスタジオと展示場所の二カ所に大きく別れている感があります。ギャラリストや展示スタッフと電話かメールで打ち合わせしていくスタンスは帰国した今でも変わらないので、日本に居てもドイツに居ても制作リズムはあまり変化は無いです。もちろん、海外へのトランスポート等の問題で作品の軽量化など、具体的な問題は作品に影響してきていますね。
制作に関して意識していることがあれば教えてください。
立体制作は、心構えから始まって、技術やマテリアルや工具の選出、耐重両度や湿度気温の変化の対応、設計上の数字把握と現場での変更有無の判断等、あらゆることに眼が行き届かないと必ず不具合が出てくるので、制作には集中力と体力が必要です。
私はもともと平面出身で(注1)、立体制作はドイツで本格的にスタートしました。いわゆる平面出身作家独特のイメージ先攻で物造りに入るタイプなので、後々、立体としては実行不可能なテクニックが必要になってきたりして、いまだになにかと問題が多いです。
重力に逆らって地から天へ立ち上がってくる感じを受けながら制作しています。そのためか、作業が終わると家から出られなくなるくらい消耗してしまいます。そうなったら立体作業を一旦休止して、ペーパーワークを始めます。家の中で作れるものが中心ですね。主にドローイングですが、小さなオブジェも作ります。今回は和紙と膠で作った人物像を展示しています。
人体をモチーフにしたのは、《Milky Way》シリーズが初めてです。学生の頃は感覚や痛み、記憶などをモチーフにしていましたし、その後、アーティストとしてデビューしてからは霊柩車と乳母車をモチーフにして、死や生の事象を表現していました。
人間をダイレクトにモチーフとして扱うのは、いろいろな意味で難しいと思っていたので敬遠していたのですが、アーティスト活動をしているうちに、人間を扱う必要性を感じるようになって、まずは形体からだと思い、最初に自分をモデルにして、裸になってポーズをとりながら制作しました。制作中、次第に、人体の構造にドラマティックな魅力を感じるようになったのですが、自分をモデルにしたせいか、制作中に感じた面白さは完成したものからは感じませんでした。そんな中、一時帰国の時に、実家の富山で温泉に行った際に、おばあちゃんたちの裸体を見る機会があって、これだ!と思いました。歳月を重ねた人の身体構造にゾクゾクしました。人体自体に歴史を感じたんですね。
人が行為としてどんな痕跡を残すかという考え方がありますが、身体だけでも十分に痕跡があり、作品になり得る。面白いと思いました。そこで温泉につかりながらおばあちゃんの裸をちらちら盗み見し、家に戻ってスケッチをして、ドイツに戻ってから立体にしました。それを星(注2)にしたらコンセプトに筋が通って作りやすくなり、おじいちゃんも作りました。
注1:愛知県立芸術大学では油画専攻
注2:FRP(繊維強化プラスチック)で制作された立体に無数の穴があけられ、その中に入れられた光源により、無数の星で空間が埋め尽くされるインスタレーションが出現する。
制作時の気分に波があるということでしたが、異なる気分でも制作する作品は同じテーマでしょうか?
同じテーマだと思います。気分の高揚している時は立体作業に取りかかりたくなりますし、静寂な気分の時はペーパーワークと決めているだけなので、取り扱うマテリアルとテクニックが違うだけで同じ物をつくっていると思います。
《Milky Way》は一つのシリーズであり、モチーフとして具体的な宇宙とか星を指すわけではないんですね?
違います。《Milky Way》シリーズのオブジェの星々やペーパーワークの点々は、人の感情の粒子として扱っています。粒子が積み重なって増殖していく感じです。星っぽく見えるから《Milky Way》という言葉とは繋がりやすいと思いますし、もちろん、人は死ぬと星になる的な発想はモチーフとして含まれていると思いますが、要素だと思います。そう捉えて鑑賞してもらうことを否定はしませんし、むしろなるほどと思いますが。
今回はこの会場にドローイングを展示されていますね。何か理由はありますか?また何か具体的なイメージはあるのでしょうか。
最初、神楽坂のMori Yu Galleryの空間を見たとき(注3)、玄室をイメージした新作立体インスタレーション作品を作ろうと考えていました。窓のない空間なので完全な暗室が作れますし、部屋の大きさと天井の低さが心地よい圧迫感があって、外界から隔離された神聖な空間がつくれると思いました。しかし、ギャラリー移転の話が急にもちあがって、展示期間が前倒しとなり準備期間が極端に少なくなってしまい、急いで作品を完成させて落ち着かない状態で展示に間に合わせるより、こういう機会だからこそ、普段やってみないような展示にしてみようか?とプランを変更しました。
以前からドローイングだけでインスタレーションを作ってみたいと思っていました。ドローイング作品を使って空間自体をドローイングするという行為です。
立体作業の合間に描き貯めていたドローイングが相当量ありましたし、ドローイング作品はたいてい立体のインスタレーション作品のサブ的要素として展示していたので、ドローイングのみの展示はやった事がありませんでした。ドローイングのモチーフでよく使っているのですが、星の軌跡を時間をかけて定点観測したイメージを描いています。21歳ぐらいの頃に、パラレルワールド(注4)にはまっていまして、この世の中はいくつかの層があって、それらの次元を繋げていくという発想に捕らわれていました。このモチーフは時々作品に使われます。今でもたまに描きたくなるんですよ。自分でひたすら点々点々と。
注3:大垣の個展以降、Mori Yu Galleryは現在アーツ千代田3331に移転
注4: パラレルワールド→ある世界から分岐し、それに並行して存在する別の世界を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。
ドローイングに使われているのは、どんな紙なんですか?
この紙はアンティーク本の紙です。昔、スペインに旅行したときに、フリーマーケットでたまたま買った本なんです。昔の本って、紙質がいいんですよ。私は読めないのですが、スペイン人の友人曰く内容はセビリアの美術史だそうなんです。昔の印刷方法で作られていて、かっこいいなと感じてずっと持っていました。霊柩車の作品を制作した後、紙も買えないぐらい本当に貧乏になってしまったときに、この紙を思いついて、本を全部解体して、セビリアの中世の美術史の上に新しいレイヤーを加えて新しい物語りを紡ぐイメージでドローイングを始めました。それが200枚になりました。これはすでにドイツで展示されたことがあります。
描かれている人物はだれですか?
《Milky Way》シリーズを始めるまで人をモチーフとして扱ったことがなかったので、そのために人物の捉え方の練習もこめて雑誌やインターネット、自分や友人のアルバム等からいろいろな人物をトレーシングペーパーで写し取っています。
ドイツから帰国されて日本で再活動をするにあたって感じていることはありますか?
ドイツでは、ベルリン、ミュンヘン、フランクフルト、ハンブルク、そしてデュッセルドルフ・ケルン・ボンのあるNRW州など、地域やコミュニティーによって作品のテイストが違います。各地域それぞれに長い長い芸術の歴史があって、その地域の大学の教授陣が後進を育てて、何かこう、地域性がありました。その状況と比較すると日本は関東と関西のふたつだけの印象があって、混み合っている感があります。日本は国公立だけでなく私立の美術系大学が多いので、アーティストの卵が毎年どんどん生まれていて、でも発表するスペースは限られていてまるで席の取り合いのように感じます。
帰国されて、作品の鑑賞者の大半は日本人になったと思いますが、鑑賞者の変化を意識したりしましたか?
あまり無いですね。ドイツも日本も芸術愛好家が多くて、ありがたいと思っています。
ただ、ドイツ人の鑑賞者はやはり作品を所有する目的で展示に足を運んでくれる気がします。日本人はどちらかというと展示を楽しむのが目的で、所有するという考えはあまり無い印象はあります。
また、周囲からは作品が大きすぎるので、リサイズしなさいと言われました。作品を気に入ってもらえても家に飾れない大きさなのはゆゆしき問題ですよね。一方でドイツの知人からは、日本は家も道路も狭いので、作品が小さくなることが心配だと言われました。
私にとって作品のサイズは等身大である事が制作しやすいのですが、日本だと大きすぎ、ドイツだと小さすぎる。よってやはりシリーズに分けて制作していった方が混乱しないかな?と思っています。
あと、今回久しぶりに油彩にチャレンジしました。油絵を描いていたのは大学2年生までで、以降はインスタレーション作品に傾倒していたので、油彩は描いていませんでした。にもかかわらず、何故キャンバスに油彩で描いたかというと、帰国して一番作品に影響したのが、湿気なんですね。ドイツにいた頃は、気分が乗ってくるとその辺にある紙にドローイングをばばばっと描いて、その後色々な作品に繋げていくんですが、日本ではペーパーワークスは、湿気でふにゃっとなってしまうので、作品として管理するのが大変なんですね。
実際ドイツから持って帰ってきたものが、ふやけてしまったり、カビてしまったりしました。そこで、キャンバスに油彩って屈強なマテリアルだと思って、取り組んでみたら意外にもいい結果になりました。大学時代までは油彩というか、絵画として描くことに食傷気味というか、うんざりしてしまったところがあったのですが、一度立体を思いきりやって考え方がリセットされたというか、絵画として描くのでなく、平面作品として向かい合えるようになりました。油絵具も、樹脂や石膏の延長上にあるものだと考えられるようになりました。
この展示空間には、今話して頂いた油彩だけでなく、立体、ドローイングも構成されていますが、要素を組み合わせていく際、イメージなどはあるんですか?
展覧会が終わるころに出てくるんですよね。初めにコンセプトやテーマをテキストで書いたりするとイメージがガチガチになってしまって出来上がってくる作品は大抵面白くないと思っています。もちろんプランはテキストをちゃんと書きます。設計図やイメージ画像等もかなり机上でつくりあげますが、最終的に現場ではあまり捕らわれないよう注意します。立体をやっていて特に身体に染み込んだのは、マテリアルの強さと信頼性です。出来上がる作品は必ず自分のイメージ以上のモノを出してくるので、作品に引っ張り上げられるようにその温度に自分を委ねます。私はあえて大体の輪郭だけ与え、後は作品の強さにひっぱられて行く感じで作品は出来上がってきます。作品が私に指示を出してくるというか、作品と対話しながら空間ができあがっていく感じを大切にしていこうと思っています。今回は原始のイメージで空間をインスタレーションしてみました。もともと玄室を作ろうと考えていたので、終わりの始まりの場所、再生するための装置、宇宙の一角的なイメージはあります。
大垣さんの好きなタイプのアーティストがいたら教えてください。
私が作れないような作品を作るアーティストですね。スイスの作家とか好きですね。インテリジェンスで、でも遊び心があって。洗練されているというか。私の制作方法はどろどろしていて体感重視なので、制作もアナログですし、その反動かもしれないです。
大垣さんは今後アジアで活発に活動されるんですか?
そうですね。ヨーロッパと平行して、日本を拠点にアジアでも活動を広げていきたいですね。アメリカも興味があります。ただ、一番思うのは、等身大で制作を続けられるように気を付けたいと思います。直情型というか、こう!と思ったら、状況の判断無しで動いてしまうので、後で大変になってしまう。展示のオファーがきて、担当の人と話が合ったりしたらノリで承諾してしまって、後で条件の交渉でもめたりするのはもう卒業していかねばと思います(笑)。
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インタビュー後、大垣さんは大阪でアートフェアに参加し、現在はポーランド、ドイツの展覧会に参加している。日本に拠点を移してから、ネガティブに捉えがちな要素を持ちまえのバランス感覚で巧みに捉えて、作品に取り込んでいることが感じられた。自在に素材を操り独自の空間を作り上げる大垣さん。今後も日本での活動ならではの作品を期待したい。
【大垣 美穂子 / Mihoko Ogaki】
1973年富山生まれ。愛知県立芸術大学油画科を修了後、1996年に渡独。デュッセルドルフクンストアカデミーで立体を専攻。2003年、Prof.クラウス・リンケより修士号を取得、2004年同大学をディプロム卒業。約3年間の「霊柩車プロジェクト」期間を経て、2006年ギャラリーフォス(デュッセルドルフ)での個展「ハジマリノマエオワリノアト」でデビュー。以降、世界各国で作品を発表している。
http://www.mihoko-ogaki.com